2016年10月31日月曜日

だからもっと「本そのものの話」がしたい

この前の飲み会でも何人かに話したのだが、今、私の気分は「印刷版であろうが、電子版であろうが、もっと『本そのものの話』がしたい」モードなのである。
 
本屋の現状とか未来とか流通のあり方とか、あと電子書籍のあり方とかについて、ちょっと長く考えすぎたため食傷気味なのかもしれない(もちろん、これも頭の片隅で考えていかなくては)。
 
とはいいつつも、ずーっと「わからない」と言い続けてきた「本とは何か?」についての明確な答えはまだなくて、とりあえず「作品をパッケージした入れ物」としか言えないんだけどさ。
 
でもやっぱ、圧倒的に「本の話をしていない」感じがする。特に本に関わる人たちが集まる場において。
 
たとえば、コンサートや芝居や映画を観に(聴きに)行って、「劇場」のことを語ることは少ない(たまにはするけどさ)。
 
あるいは、わたしがここ10年近くはまっているAMラジオも、「今この番組が熱いし、ヤバいし、笑えるし、勉強になる」といった話をすることがときどきあるが、たいていの人はAMラジオを聴く習慣がないので、まずは「ラジ番組の面白さ」について話してから、その視聴方法をレクチャーすることはある(最近ではラジオの聴取方法も大きく変わったので)。しかし、あくまでも、コンテンツ=番組の面白さを伝えたいのだ。
 
たしかに本は「多様性のメディア」だから、あなたが(あるいは、わたしが)面白いとか、ヤバいとか、恐ろしいなどなど、誰かに何かを伝えたいと思ったものについて、わたしに(あるいは、あなたに)、それを伝えるのは少々面倒な作業だ。でも、わたしは、いろいろな場所で、あるいは、基本、本を読む習慣がある人には「最近、何か面白い本読んだ?」と訊くことがある。が、あまり話が盛り上がらなかったりする。
 
自分の好奇心の問題か? 相手の説明の仕方の問題か?
 
でも昔は、そんな話をえんえんしていたような気がするのだ。
 
どうやれば相手に伝わるか、あるいは自分が理解できるか、補助線を引いて説明したり、補助線が見つかるような質問をしたりして聞き出したり。そのうち、相手(自分)が伝えたい何かが、本の世界だけじゃなくて、芝居や音楽や映画、さらには政治を含む社会問題の話に飛び火することもあって、そのダイナミズムが楽しかった。
 
だからもっと、「本そのものの話」がしたいし、そうやって自分の嗅覚や興味だけでは出会えない本に出会いたい。

2016年10月30日日曜日

読者は辞書をもたなければならない。

KDPの2016年8月は、KU/KOL(読み放題の配当金)が売上(実売)を上回った。しかし、全体に「売上が伸びた」のではない。明らかに落ちた。ただ、「読者」が広がったことは確かだ。数字でも確認できるので間違いない(そもそも、古書でしか読めない作家の作品を電子化して、新たな読者に伝えていくというのが、私たちのプロジェクトの発端ではあるのだが)。
 
9月には「選集」発売の情報が報じられ、その効果で売上(実売)が明らかに増えている。が、KU/KOL(読み放題の配当金)も前月同様に多い。実際の配当額が確定するのは11月15日だっけ? 10月も今のところ9月と同様の推移をしている。
 
そこを確認してからの判断になるが、やはり定価を下げたほうが利益が出るのか? 今年4月に著者の誕生日に合わせて1週間限定のタイムセールをやったら、たしかに売上は良かったし……。ただ、タイムセールだから売れただけだろうし……。
 
先日、突然、会社を辞めて周囲の人たちを驚かせたイトヒヤ先輩と話していて「電子書籍は安すぎる。印刷版より便利なら、それより高いものがあってもいい」と仰っていて、まあ、たしかにそれはそうだが、市場はそうは反応してくれない(まだ印刷版のほうが便利だという認識なのだろう)。個人的には、本の内容によっては印刷版より電子版が優れているもんもあると思っている。特に、「調べ物」を多用して読んだほうが理解が促進される本などは、本当に便利だ。
 
こんな話がある――。ウラジーミル・ナボコフの『ヨーロッパ文学講義』の冒頭に「読者が良き読者になるためには、どうあるべきか、答えを四つ選びなさい」という設問があるのだが……。
 
1:読者は読書クラブに属すべきである。
2:読者はその性別にしたがって、男主人公ないし女主人公と一体にならなければならない。
3:読者は社会・経済的観点に注意を集中すべきである。
4 読者は筋や会話のある物語のほうを、ないものより好むべきである。
5:読者は小説を映画で見ておくべきである。
6:読者は作家の卵でなければならない。
7:読者は想像力をもたなければならない。
8:読者は記憶力をもたなければならない。
9:読者は辞書をもたなければならない。
10:読者はなんらかの芸術的センスをもっていなければならない。
 
当然、答えは「7、8、9、10」で、なかでも9の「読者は辞書をもたなければならない」という面倒臭さが電書によって軽減されたのは本当に大きいと思う。
 
話を戻す――。ただ、ショバ代が販売価格の30%という安さのKindleセレクトをやめるという選択肢は、私にはない。たしかに電書市場の寡占化の要因にはなるが、小売りが65%もの販売手数料を抜くなんてのは暴利だと思う。
 
さてさて、どうしたらいいか……。
 
実は同様の境遇の電書パブリッシャーって、それほど多くない。
 
ちょうど昨日でまる3年、電書復刊ビジネスをやってきたが、「同様の境遇の電書パブリッシャー」があまりいないということは、私たちのやっていることが「労多くして実りなし」だと思われているからではないか――。
 
もしそう思われているのであれば、私たちがやっていることは「悪しき前例」になってしまうわけで、それには責任を感じてしまう。
 
正直、篦棒には儲かってはいないが、電書復刊が密かなブーム&再評価の呼び水となって「選集」が出ることになり、電書の売上にもその影響が現れ始めているわけだし、また、その「選集」が出るからこそ「つかだま書房」の企画も成立するわけで。数字には現れないい「利益」は、たしかにあったのだ今は思っている。

2016年10月29日土曜日

東京堂の佐瀬さんのこと

 つかだま書房としての初書店営業は東京堂書店(神保町)の佐瀬さんと決めていた。それは、とある事件(と言ったら大げさか?)を垣間見て以降、彼女のファンになったからだ――。

 その当時、神保町の出版社に勤務していた私は、昼休みになると(飲食店が混むので、だいたい13時過ぎに)、三省堂書店、東京堂書店、書肆アクセス、書泉ブックマート、洋書や美術書が充実していたタトル商会などをぐるりと定点観測してからメシを食い、ラドリオか伯剌西爾でコーヒーを飲みながら読書、という毎日を過ごしていた。で、いろいろ欲しい本が見つかると、「サブカル系は書泉ブックマートかな」とか「雑誌は三省堂でいいか」、「やっぱ人文書は東京堂で」などと、それぞれ書店を使い分けていた。 

 そんなある日のことである――。

 いま調べたら2004年の9月か10月に「事件」は起きた。いつものように東京堂に寄って、一階の売場をぐるりとチェックし、通称「軍艦」と呼ばれていた新刊台を眺めていたら、突然、店内に響き渡るくらいの大声で、女性店員さんの叫び声(?)が聞こえてきたのだ。

 「佐野さん、蜂飼さんの本、どこへやったんですか?」

 声は少し怒気を孕んでいた。

 「佐野さん」とは、当時、東京堂書店の店長さんで、「東京堂書店が東京堂書店としてのブランドイメージを維持しているのは、佐野さんがいるから」くらいに私は思っていた。というのも――、たとえば、作家の立花隆は東京堂の常連客だったが、佐野店長を引き連れ、彼に何十冊もの本を持たせて買い物をしている姿を何度か見たこともある。東京堂を退職後、『書店の棚 本の気配』(佐野衛・著/亜紀書房/2012年)を上梓されているので、その本を読め、まさに「プロ書店員」というか「プロの本の目利き」というイメージがぴったりな人だということがわかる。
 
 そんな佐野さんに怒っている若い女性の店員がいる。コイツはいったい何者だ?

 彼女が言う「蜂飼さんの本」というのは、詩人の蜂飼耳さんが詩集とは別に初めて上梓されたエッセイ集『孔雀の羽の目がみてる』である。その本が、数日前から「軍艦」に積まれていたのは私も見ていたが、不勉強ながら未知の著者であり、タイトルもなんだかよくわからない感じだな、といった感じで、その本を手にとって眺めてはいなかった。

 結局、蜂飼さんの本は、「軍艦」から撤去されたわけではなく、棚の整理のために一時的に場所が移動しただけだったようだが、その女性店員さんが怒気を孕んだ声で佐野店長に文句を言う、その本が気になり、私は「軍艦」に戻されるや本書を手に取って、そのままレジへ運んだ。中身も見ずに。
 
 素晴らしい本だった。才能ある新たな書き手の出現に瞠目した。しかも、文章からも、名前からも、書き手が男性なのか女性なのかも想像がつかない。「この書き手は何者だ?」と思った。さらに言えば、上製本を書見台に見立てて1センチ以上もの「チリ」をつけた菊地信義さんの装丁も素晴らしかった。その後、私は蜂飼さんにアポを取り、さっそく書籍の企画の打診をした(が、その企画は実現しなかった)。

 蜂飼さんの本のことで、「あの佐野店長」を怒鳴りつけたのが佐瀬さんだった。彼女の怒声がなければ、私は蜂飼さんの本と出会えなかった。

 以来、私は、東京堂書店・佐瀬さんのファンになった。私が担当した新刊が出るとPOPを持参して渡したり、またある時は、私が担当した新刊のトークショーを東京堂で開催してくださったこともあるし、新聞で書評を書いてくださったこともある。

 そこから少しずつ親しくなってゆくのだが、東京堂の店外で会ったり、話したりということは一度もない(ある作家さんのパーティーでご一緒する機会が1回だけあったが)。通常は、「書店員」と「顔なじみの客」という、ちょうどいい距離感の関係が続いていた。

 その後、転職して神保町勤務ではなくなても、週に1度は東京堂に寄っていたと思う。そして私は、会社員を辞めてフリー編集者になる。ある日、東京堂を訪れて「最近はどうされているんですか?」と訊かれたので、会社を辞めてフリーになったことを話し、「出版社を始める予定だ」と伝えた。佐瀬さんは「楽しみにしています。注文書、持ってきてくださいね」と言ってくださった。

 それから3年間、東京堂に行って佐瀬さんに会うたびに、「最近はどん感じですか?」「出版社はいつ始めるんですか?」「最初はどんな本を出すんですか?」なんてことを訊いてくださる。まあ、社交辞令もあると思うが、私はもう佐瀬さんのファンなので、そんなちょっとしたコミュニケーションが嬉しくて仕方がない。

 だから、実際、出版社を始めるにあたって、真っ先に書店営業に向かったのは東京堂書店であり、佐瀬さんに注文書を手渡したいと思ったのだ。

 しかし、誤解しないでほしい。佐瀬さんは、いわゆる「カリスマ書店員」と「有名書店員」とか呼ばれるようなタイプの書店員さんではない。なんて言ったいいのかなあ、取っ付きやすいタイプでもないし……、誤解を恐れず言うなら、なんか「ぶっきら棒」な感じなのだ。

 でも、私は、そこが好きなのだ。そして、私以外にも佐瀬さんのファンが数多くいること、なかでも作家さんに佐瀬さんのファンが多いことを知っている。

 ちょっと失礼な表現かもしれないが、なんか、ぶっきら棒で不器用そうで(そんなイメージがする)、でも、自分が信念は上司であろうが強気で意見をはっきり言う、そういう感じの人に、私はシンパシーを感じるのだ。


 だから、つかだま書房で出す最初の本の注文書を、真っ先に佐瀬さんに注文書を届けたかったのだ。

2016年10月28日金曜日

そしてまた「書くことの始まりに向かって」

 ブログを始めるのは何年ぶりだろうか――。

 いま調べたら2004年8月から2008年1月まで、とある無料ブログで公開日記を書いていた。最初はほぼ毎日だったが、後半は月に数日しか更新していなかった。

 いや、まてよ……。それ以前に「さるさる日記」というブログ以前の掲示板サイトでも日記を書いていたはずだ。サイトが閉じる際に、データをサルベージした記憶がある。おそらく、古いコンピュータ(ずっっとMacを使っているのでOS9だ!)かどこかに残っていると思う。

 そしてまた、およそ10年ぶりにブログを開設した。立ち上げたばかり――と言っても、まだ出版物ができあがってもいないし、会社の登記もしていない――の「つかだま書房」の記録を残しておこうと思ったからだ。

 「記録」なら「公開」する必要もないが、それはそれ、「情報」に携わる商売なので、もちろん「宣伝」のためのブログでもある。

 ブログの副題は金井美恵子さんのエッセイ集『書くことのはじまりにむかって』から拝借した。以前のブログ(おそらく「さるさる日記」)も、このタイトルで綴っていたので愛着がある。
 
 ということで、いろいろ話せば長くなるし、まだまだWEBまわりの作業でやらねばならないことがたくさんあるので、今日はここまで。

 つかだま書房ともども、どうぞご贔屓に!